自分に才能がないのは親のせい?才能は遺伝するというウソ

才能が遺伝するとしたら世の中はどうなるのだろう?

「親は普通だし、これといって秀でているものがないので、自分にも才能はないんですよ。あはは〜」

と、言う人がたまにいます。

自分が親になってこの一言を子供に言われたら「すまぬ、こんな親で!」とショックを受けるんだろうな〜としみじみ感じてしまいましたが、ちょっと待ってちょっと待って!

親の才能とあなたの才能は関係ありません。

というのも、ちょっと算数をしてみると分かることなんです。

もし、親に才能が無くてあなたにも才能がないという方程式を作れるなら、親に才能があったら子供にも同じく才能があるという方程式が作れますよね。

ということは、イチローの親は野球の才能があるということになります。ですが・・

おやおや、イチローの父「チチロー」はプロ野球選手じゃないですね。これでは方程式が合いません。

又吉はお笑いの才能と小説を書く才能があるということになるから、親はとんでもなくお笑いのセンスがあって文章を書く才能もあるのか?答えはどうでしょうか。

もし、才能が遺伝するならそんな図式が成り立っちゃいます。

才能まで遺伝したら僕らはただのクローン人間じゃないか?

そもそも、親の遺伝で自分の才能が決まるなんて、そんな不公平な世の中あってたまるかって感じになりますよね。そんな生き地獄な世の中に生きてられないですよ。生まれた瞬間自害してやりますよ、そんなん。

親はいじめられる才能があるから、自分が生まれた瞬間、いじめられる才能があるだと?

そんなバカな話があってはならないし、僕は絶対に認めません。

確かに、身長や顔つきは親の遺伝を受けるので、ほぼほぼ未来は決まっているようなもんですが、それと才能は少し分けて考えた方が健全ですよね。というか混同すること自体おかしな話ですよね。

僕は天パ×天パの両親から受け継いだ強烈な天パなので日々悩まされていますが、それと才能は何の関係もありません。むしろ、コンプレックスですよ。

じゃあ、親の才能と僕の才能について比較してみると、うちの両親はどっちも文章書くの超下手くそだし、普通の会社員だし。

僕の文章の才能と起業家の才能はどこから出てきたんだ?(僕にその才能があるかないかは別の話)

もしかして、俺は道端で拾われた子どもなのか?って人生全部を疑っちゃいますよ。

才能が多少遺伝している部分があるのは事実

よく、スポーツの世界では、親子で活躍しているケースがあって、肉体的な遺伝が才能の1つになっている部分はあります。

足が速かったり、背が高かったりというのはもう仕方がない。どうしようも出来ません。そして、小さい頃からの英才教育や環境がもっと大きく影響しているんだと思います。

でも、それはごく一部の人だけに当てはまることであって、多くの人はそこに自分の才能を求めているわけではないはずですよね。

僕の親が料理の才能があるとしても、僕にはその才能がない代わりに何かをまとめたり文章を書く才能があると思っていますし。

僕の親が与えられた仕事をコツコツこなす才能があるとしても、僕にはその才能がない代わりにアイデアを出す才能があると思っていますし。

他にも、親はものづくりの才能があって、あなたには、人前で話す才能があるかもしれないし、親が音楽の才能があって、あなたには、人を癒やす才能があるかもしれない。

そうやって、親とは違う才能があなたに与えられている可能性の方が大きいわけです。

才能に気付こうとするかしないかで人生は大きく変わる

自分の未熟さを生まれつきの才能のせいにして、自分の人生がパッとしないのを全て親のせいにしていたら、何をやるにも「親のせい」というのがつきまとってきます。

もし、才能は遺伝するから自分になんて才能は無いとどこかで思っているのなら、親に縛られて生き続けることになりますよ。苦しくないですか?その生き方。

そんな苦しい生き方やめましょうよ。親にも失礼ですよ。

自分の人生をどう快適に生きるかに焦点を当てて生きた方が楽しくないですか?

小さい頃によく言われた「よそはよそ、ウチはウチ」「人は人、自分は自分」という言葉を思い出していきましょう。自分の才能を開発したり発見したりしてそれを発揮していくには、誰かと比較するのを辞めて、自分の足元をしっかりと見つめるところから全てがスタートします。

自分の才能を知って、それを適切に使っていけば、自由な人生なんて誰でも送っていけるもんですよ。