才能を活かす人生or才能を活かさない人生の決定的な違いとは?

才能は一部の人に与えられた特別なもの。

そういう位置づけで考える人が多いようですが、僕はそうは思いません。と言うのも、ノマドライフって自分の才能を発揮した先にあるもので、これって誰にでも出来ると思っているからです。

僕は単純に、「自分の人生を楽しもうとしているかどうか?」という心のあり方が、才能というものを活かしたり殺したりしているに過ぎないと思っています。

では、才能を活かす人と活かさない人には、人生において何がどう違ってくるのか?という違いについて綴っていきたいと思います。

才能を活かして生きる人生

自分の才能を活かして生きている人は、自分の才能に自覚症状がない状態からスタートしている人がほとんどです。「まさか自分にこの才能があったとは思いもしなかった」という人がほとんどです。

そういう人に限って、自分の人生を心から楽しんでいます。そして、心から楽しむにはどうしたらいいかを常に考え続けています。

好きな事や得意な事をやって、周りの人に感謝されながら生きているので、まあ基本、ハッピーなわけですよ。

なので頭の中は「何をやったらより楽しくなるだろう?」「人に喜ばれることって何だろう?」というように、人生をより好転させていくための質問を自分に問いかけ続けています。

そういう質問を自分に浴びせているわけですから、さらに才能を伸ばしたり、自分が活躍できるチャンスの場が増えます。

才能を活かさず生きる人生

一方で、才能を活かさず生きている人は、「俺or私の人生はこんなもんなんだよね」と、達観という名の諦めという角度で人生を眺めています。なので、自分の成長や活躍できるチャンスが目の前にやってくると、ソワソワしちゃうんですよ。

「いやいや、人生はこんなもんだと思ってたのに、ステージ上がっちゃうと調子が狂うからやめて」と、自分に対しても、自分の未来に対しても、そもそも肯定的側面に目を向けていないので、ワクワクする事はありません。口では「何か面白いことない?」と言いながら。

何かネガティブな事が起こると「やっぱり俺はダメなんだ」と、まるでそれを得て安心するかのように落ち込んでしまいます。

目の前の出来事の捉え方を変えれば才能の引き出しだらけ

例えば、会社が潰れて解雇されたり、自分でビジネスをやっている方は、そのビジネスが立ち行かなくなったとします。

強制解雇、倒産という出来事が目の前にやってきました。

才能を活かせない人の考え方だと「うわー、人生詰んだ。。」とネガティブに解釈します。でも、才能を活かしていく人の考え方は180°違うんですよ。

「確かに苦しいし、残念だけど、全く新しい事が出来るし、面白そうだしラッキーじゃね?」

と自然に考えます。

そして、実際にその出来事がストーリーとなって、後の人生をドラマチックに展開されていくんですよね。

僕も雪の降り積もる山奥の産業廃棄物処理場に積まれたゴミ山の仕分けをしたり、経験もないのにいきなり鳶職の現場に行かされて地上20mの屋上で足をプルプル震わせたりと、大変な事が色々起きていましたが、それを、ネタとして使うだけで、人が興味を持ってくれるので今ではアリです。

そして、そういう経験と経験の中で築いた人脈と知恵が僕の中にはあったので、わずか1週間で60万円という爆発的な利益を作れるリサイクルショップの経営に繋がっていったんです。

「自分の人生」という映画を作る感覚

才能を活かす人は、全てを積み上げていくように生きています。まるで、映画の素材を集めるかのように生きています。

すると、どんな事が起きても、何も無駄にならない人生になるんですよね。作品づくりに必要なんですから。

一方で、才能を活かさない人は、この視点がなく、失敗と恐れと不安で脳内を埋め尽くされています。

映画を見るときに、ずーーっと順風満帆で無難なストーリーだと面白くないと文句を言ったりするにも関わらず、「自分の人生」という映画づくりになると急に無難なストーリーを求めていきます。そりゃ、人生、文句も出るし、つまらんわけですよ。

自分の才能の使い道は自分で決めましょうね。そして、その才能は、1人で閉じこもって見つかるものではなく、人との関り合いの中で見つかるものですよ。

人生は映画づくり。自分の才能をまだ発揮できていないと感じる場合は、これから一気に面白くなっていくところかもしれないよ。流れが来たら決して逆らわないこと。